火遊び

 少し疲れていたのかも知れない。自分も、悟も。いや、きっと疲れていたのだ。何しろ、最近任務が多くて忙しかったし。疲れていたとでも理由を付けておかないと、やらかしたことの説明がつかない。

「昨日まで任務で九州にいてさー、さあ帰って来たと思ったら今度は明日から新潟だぜ? しかも一週間! 俺のことこき使い過ぎじゃねー?」
「仕方ないよ。この時期の呪術師は忙しい。それに悟なら一週間もかからないよ、きっと」
「当たり前だろ俺は最強なんだから。でもそしたら早く帰ったら帰ったで別の任務捻じ込まれるじゃん。あーもー三日で終わらせて四日間サボろっかな! 新潟って何があんの? 飯とか美味そう」
「こら」
 先生が聞いていたら爆発して大炎上だろうな、ということを、いつものように傑のベッドを我が物顔で占領して俯せに寝そべっている親友がしれっと言った。怒るふりをして相槌を入れつつ、冗談だとは傑も分かっている。悟はなんだかんだ言って任務はきちんとこなす。授業は時々手を抜くが、任務は口で言うよりは真面目にやっている。
 とはいえ、確かに最近忙しい。傑も明日から関西で四日程の任務がある。任務がない時には授業にも出席しなければならない。
 ずっと忙しい訳ではないとはいえ、悟も鬱憤が溜まっているのかも知れない。何しろいくら特級の呪術師といっても、中身はまだ十代の男子。遊びたいと思うのが普通だ。
「……何か適当に息抜きでもしてストレス発散するしかないよ。何かないの? 趣味に没頭するとか」
 手元の文庫本のページを捲りながら言えば、悟がベッドの上で仰向けに寝転がったらしく背後でベッドがぎ、と耳障りな音を立てた。
「えー趣味? 俺別に趣味とかねえし」
「いつもゲームしてるじゃないか。それか、甘い物を買って来て食べるか」
「うーん今はゲームしたくないし買いに行くのがめんどい」
「じゃあ部屋に戻って自慰でもしてな」
 事も無げに言いながら、何でこんなことを提案しているのだろうと思った。二人はよく下らない話をするが、恋愛の話や下半身事情のような下世話な話をしたことがない。悟から一切して来ないから。他人のそういう話に興味もなく、自分がそれを他人に聞かせる趣味もないのだろうと思って傑もそういった話を悟にしたことがなかった。
 多分、疲れている。悟が適当に『あーそうだなー後で部屋でしこしこやるわ!』とか話を合わせてくれれば、この会話はそれで終わる筈だった。だから、背後で悟がきょとんとした声を出した時、耳を疑った。
「へ? じい? って何?」
「は?」
 胡乱な目で背後のベッドを見た。悟はベッドの上にだらりと寝そべったままで片肘を立て、顎を手の平に乗せてこちらを見ている。所謂、中年のおっさんおばはんが畳の上で横になってテレビを見ている時の図のような。悟の綺麗な顔には恐ろしく似合わない所作だと思った。
「じいって何」
 悟がまた同じことを訊いた。聞き慣れない単語に顔を少ししかめながら、むっくりと上半身を起こした。何のことか分からない癖に、傑の話に興味が沸いて来たらしい。身を起こすとベッドの上にいる悟の方が目線が高い。
「……」
 ああそうかとぼんやり納得した。自慰、という言い方は多分、普通の十代男子には馴染みがないのだ。もっと俗っぽい呼び方をしないと。だから、俗っぽい呼び方に訂正した。
「オナニーのことだよ」
「え? おなにー? ……って何?」
 悟は本気で意味が分からないという顔で、こてん、と小首を傾げた。傑は今度こそ言葉を失った。呆気に取られたまま言葉に詰まる。絶句。二の句が継げない。奇妙な沈黙が二人の間で漂う。
「……いや、ふざけてるの」
「は? ふざけてねえし。オマエこそふざけんな。また俺の知らない知識のひけらかしか?」
 悟はやっぱり意味が分かっていないらしい。ムッとしたように、眉間に皺を寄せている。
「……」
 いやないだろ、流石に。と思った。知らないなんてそんなことがあるのか。いやひょっとしたら有り得るのかも知れない。何しろ彼は五条悟だ。時々恐ろしく世間一般的な常識から外れたことを平気でしでかすし平気で言う人間だ。呪術師の旧家で育った所為だろ、とは硝子の意見である。一般家庭で育った傑はそいういものなのかと半ば呆れていたが。
「なあ傑、オナニーって何」
「……自分で調べてくれ」
「は? やだめんどい。オマエが教えて」
 本に向き直ろうとすればおもむろに後ろの髪を引っ張られた。痛い。ムカついたから、振り返り様有り得ないことを言った。多分、きっと、疲れている所為で。
「教えて欲しいの?」
「うん」
 あっさりと悟が頷くから、悟の方に身を乗り出して彼を見上げ、小さく微笑む。
「じゃあ、ズボンと下着ずらして」
「え」
 子供みたいに好奇心で目をきらきらさせていた癖に、予想もしない傑の言葉に悟の顔が曇った。  流石に、嫌だと拒否するだろう。そうに決まっている。そしてオナニーって何かだなんて、同性の親友に訊いてはいけなかったと後で調べて知るだろう。それでいい。この会話はこれで終わりだ。
「こ、ここで?」
「そう。ここで」
「で、でも、」
 会話を終わらせたいと思うのに、悟にズボンと下着を脱がせるにはどうすればいいか、と思案している自分がいる。
 悟を従わせる方法――それは、自分が提案したことを自分が先にやることだ。
 悟は傑と同じことをすぐやりたがる。ただしすぐ気が変わるという悪癖もあるが。俺も本読もうかなと言うので小説を貸したこともあるが三日と経たずに飽きたからもういいと突き返されたことがある。俺も耳に穴開けよっかなと言うから、それは全力で止めさせた。五条家の人間を傷物にしたなんて悟の家族にバレたらと思うとゾッとした。必死でやめろという傑に、悟はいつもの軽薄な笑みで『冗談だよ』と答えた。肝が冷える。『耳に穴開けるなんて、ドMじゃん』と。それは流石に語弊があるだろうと思う。
 とにかく、傑が先にやるならズボンを脱ぐことのハードルが悟にとって格段に下がる。それを知っているから、傑は本を閉じて、悟と同じにベッドの上に腰を下ろした。
「じゃあ私もやるよ」
「えっ?」
「一緒にしよう。教えてあげるから」
 それでも、悟の目には迷いの色が浮かんでいる。自分の知らないことを知りたいという好奇心と、普段は人目に晒すことなどない男の身体の弱点をこの場で晒していいのかという迷いで葛藤しているのが見て取れる。だから、傑はわざと畳み掛けるようにして訊いた。
「気乗りしないならやめる?」
「……や、やる」
 世間からずれたところが大いに散見される親友は、ぷるぷると首を横に振って、ゆっくりと膝立ちになった。迷いを断ち切るように、ベルトを緩めて下着ごと、一気に膝の上辺りまでずり下ろす。
 気まずそうに傑から目を逸らして、下半身を露出させたままぺたりとシーツの上に尻を落ち着けた。
 悟の白い性器に目を奪われる。白くて、中心の色も薄くて、そして毛も白い。今まで同性の親友の性器なんて見たいと思わなかったのに、思わずまじまじと視線を注いでしまった。ドク、と心臓が奇妙な音を立てて、悟のそこから目を離せない。
「す、傑も、脱ぐんだろ……?」
 声にハッとして、慌てて自身の前を寛げた。自分もやると自分から言った手前、脱がない訳にはいかない。
 悟と同じようにズボンと下着をずり下ろせば、萎えた性器がぼろりと露出した。悟のとは、全然色が違う。もっと濃くて、悟のものより、少し太い。悟が見下ろして、目を見開いた。
「う、わ、」
「右手で掴んで、左手で支えて。こんな風に……そう」
 悟が怖気づく前に、手本を見せる。竿を右手で握り、反対側の手を支えにするようにと悟に指示を出せば、悟は傑の手元を見ながら恐る恐るといったふうに真似してくる。
 いや何だ、この状況は。ベッドの上で向き合って座って互いに自分の弱い場所を握っているなんて。意味が分からない。頭の片隅で冷静に思うのに、悟が大人しく傑に従って今から快感を覚えようとしていることに、どういう訳かくらくらと眩暈がしてくる。
「で、右手で竿を扱いて」
「え? し、扱くって?」
 やったことのない悟には説明だけではやり方が分からないらしい。青い目に困惑したような色を浮かべながら、手本を見せろとねだるように傑の手元――つまり傑の萎えた性器を見つめている。ぞわりとした。親友に見られながら、右手をゆっくり上下に動かす。柔い刺激だけでは物足りない筈なのに、悟に見られていると意識すると腰の奥が鈍く疼く。
「こうやって。悟もやってみて」
「えと、こ、こう……?」
 傑の手元に視線を向けたまま、悟も見よう見真似で右手を上下に動かした。ぎこちない手付きが、余計にいやらしく見える。繰り返して、と囁きながら自身の竿に右手を何度も往復させれば、次第にそこが硬度を持ち始めた。たどたどしい動きのまま、同じように悟が手を上下させる。下手だ。自分で何処が気持ちいいのかも分かっていないような。それでも刺激すると反応している。時折びくりと腰が跳ねて、「……っん、」とくぐもったような声が、親友の口から発せられる。
「う、わ……っすぐるの、なんか出てきた」
 悟の言うように、己の性器がびくびくと脈打って、先端から先走り汁を零し始めている。親友に自慰行為を教えながら興奮しているなんて、流石に変態じゃないのかと思う。でも、己の身体が反応しているのは手で刺激しているからだけではなく、この行為を親友に見せつけ、親友のを見ているからなのだろうと思う。背徳感が、訳の分からぬような興奮を運んで来る。
「悟も、続けてたら出るよ」
 悟の顔をちらりと盗み見れば、頬が赤い。この状況に困惑したように顔をしかめて、でもやめられないのか、懸命に手を動かし続けている。相変わらず下手糞な手付きで。このままだとイくどころか、勃起させることも永遠に叶いそうじゃないんじゃないかと呆れた。
「さとる、こっち来て」
「っえ、」
 性器を扱いている悟の右手をぐっと掴んで自分の方へ引き寄せた。困惑したような声を出したきり、固まっている悟の肩を抱く。身体を寄せて、さっきまで自分のを握り込んでいた右手で、今度は悟の中途半端に勃起したままの白い性器を素早く掴んだ。
「っちょ、傑!? 待、っひ!?」
 ごしごしと強めに擦ってやる。痛がるかと思ったがそんなことは全くなく、むしろ悟はいきなりの強い刺激に混乱したままで腰をびくびくと跳ねさせた。忽ちそこが硬く張り詰め、露出した薄ピンク色の亀頭に透明な膜が張る。かわいい、と思った。
「す、すぐる……♡あ♡待って、あ、あ゛……ッ♡」
 今まで聞いたこともないような甘さと媚を含んだ声が腰の奥をずくりと重くさせる。待って、と言いながら、恐らく無意識に腰を前に突き出してこちらに性器を押し付けている。発言と行動が噛み合っていなくて、思わず口元に笑みが浮かんだ。
「こうやって強めにしたら、気持ちいい?」
「わ、わかんな、……ッあ♡すぐる、っんあ、あ゛っ♡」  ビク♡ビク♡と悟の腰が痙攣し、先走り汁がどんどん溢れ出て竿と傑の手を濡らす。汚いだとか全く思わなくて、むしろ自ずから先端で玉になった蜜を指先で掬い取るようにして、手に絡ませて扱き続ける。ぐちゅぐちゅと卑猥な音が部屋に響いた。
「傑……♡や♡やだ、ッそれやだ♡あ♡あッ♡すぐる、」
 すぐる、と舌足らずな声で呼ばれるとぞくぞくする。力が抜けたように、抱き寄せる傑の肩にくたりと体重を預けて悟が喘ぐ。すぐ近くにある悟の顔に目を向ければ、目尻に涙が浮いている。泣かせてしまったことに罪悪感が募るどころか興奮した。イくとこ見たいな、だなんて、およそ同性の親友に抱く筈もない思いが頭の中をぐるぐる巡る。
「ふあ、あ゛……ッ♡ひい、あ、あ゛ッ♡」
 とろとろと溢れ出て来る先走り汁を指先に絡め、薄ピンク色の亀頭に濡れた親指をぬるぬると這わせる。快楽に不慣れな悟の敏感な場所に、指を何度もしつこく往復させる。すぐりゅ、と呂律も怪しいような口調で傑のことを呼びながら、悟が震える手で傑の腕を掴んだ。抵抗のつもりか。構わずに、敏感な粘膜を指で犯し続ける。擦られる度に色が濃くなっていくのがエロいな、と思う。
「す、ぐる、うあ♡あ゛♡や、やだ、すぐる、やめ、」
「やなの? やめる?」
 わざと意地悪いことを言って、手をすっと離そうとする。追い縋るように、悟が腰を前に突き出して手に性器を押し付けて来る。ぎゅうと腕を掴まれて、濡れた亀頭が指に触れるとまた悟がビクン♡と身を跳ねさせた。
「や、やだ……♡やめるの、やら♡」
 欲を孕んだ甘い声が鼓膜を震わせる。初めて得る快感に虜になったみたいに、恍惚の色が表情に滲む。蕩けたような顔をして傑の方を見る。悟と目が合うとむくむくと己の中で膨れ上がる欲望に、抑えが効かなくなりそうだ。
「やめないよ。教えてって言ったのは悟なんだから」
 指をカリの窪みに滑らせて、輪っかを作って重点的に嬲る。どぷ♡どぷ♡と溢れ出た先走り汁が竿を伝い落ちて、シーツにまで染みを作った。
「や♡あ゛……♡すぐ、う、あ、やだ♡」
 すっかり色が濃くなってぷくりと腫れた亀頭がぴくぴくと痙攣している。顔を悟の方に寄せて、イきそう? と耳元で囁く。耳に息を吹き掛けられてビクッと肩を跳ねさせて、悟がわかんない、と首を小さく横に振った。イく、の意味も分からないらしい。どこまでも純情で、傑の手に性器を弄ばれて反応しているのが可愛い。可愛いから、虐めたくなる。
「すぐる、……も、やだ♡や、」
「……ねえさとる、一緒にイこっか」
「な、なに、」
 目尻に涙を浮かべたまま小刻みに身を震わせている悟の身体を壁に押し付け、両足の間に身体を差し込む。天を向いたまま切なげに震えている悟の勃起と、悟の痴態の所為で大きく膨張してしまった己のものとをぴたりと重ね合わせる。血管の浮き出た傑の性器に悟のものが触れると、悟の目がそこに釘付けになったまま、身を硬直させた。
 やっぱり悟の性器は色が薄くて、自分のと比べると色の対比にくらりとする。女との経験は少しはあるが、男同士での経験もなければこんな風に一緒に扱いたこともない。嫌悪感が沸くかと思っていたのに、悟相手だと嫌だと思うどころかじんじんと下腹が疼いて勃起が全く治まらない。自分を早漏だと思ったことはなかったが、このまま一緒に擦り合わせたらすぐにイッてしまいそうな気配があった。
「――っあ゛……!」
 二本の竿を掴み、少し乱暴に扱く。快楽の天辺に上り詰める為だけに強く擦る。悟が目を見開き、悲鳴のような声を出した。先走り汁が混ざり合って、ぬちゅ♡ぐちゅ♡と卑猥な水音を立てる。視覚にも聴覚にも興奮を煽られて、悟のものに擦り付けるようにして腰を動かした。
「す、ぐるっ♡あ゛ッ♡や♡それ、だめ、ッあ♡」
「悟も、一緒に扱いて」
 傑の腕を弱々しく掴んだままだった彼の手を空いた方の手で掴み、擦れ合わさる性器の方へ誘導する。一緒に扱いてとねだりながら握らせれば、悟は相変わらずぎこちない手付きながらもそこを上下に扱き始めた。びくびくと腰が揺れ動き、触れた性器同士が摩擦を生んで、火傷しそうだ。
「あ、あっ♡すぐる、……あ゛……っ♡」
「そう、上手」
 小さな子供をあやすように優しく言った。決して上手い訳ではないのだが、悟に扱かせていると思うと悦楽が背筋を貫いた。悟の先端に指を這わせる。そこが一際弱いらしく、触れたそばからどっと蜜が溢れ出て来る。喉を仰け反らせた悟の口端から涎が垂れて、顎を伝い落ちた。
「も、ッあ♡らめ♡あ……っ」
「……ねえ、だめじゃない、んだろ? それ、だめな時の声じゃない」
 薄く笑みを浮かべながら、悟の手に自分の手を重ねるようにして扱き上げる。じゅぷ♡ずちゅ♡と泡立った音が、手を動かす度に部屋に響いた。イく為に二人で共同作業しているみたいでぞくぞくする。
「すぐる、……や、だ♡なんか、で、でそう、だめ♡でる、」
「そういう時はイくって言って」
 ね? と覚え込ませるように念押ししながらカリに触れる。悟がビクンと大きく身をしならせながら白い喉を仰け反らせた。
「ッあ゛……♡や♡イく♡~~~~~イっ……♡♡♡」
 どぷ、と濃い白濁が飛んだ。身体を密着させている所為で傑の顔にまで青臭い精液が掛かる。熱い。どうしようもなく興奮した。自分の手で絶頂に導かれる悟に。意味も分かっていないまま傑の言うことを素直に聞いてイくと口に出すこの男に。だから、傑も間を置かずに白いものをぶちまけてしまったのは、致し方ない。
「……っう、」
 白濁が互いの性器に掛かる。どちらのものなのかも分からない粘ついた精液が、どちらの性器も汚している。恐ろしく扇情的で背徳的だと思った。さながら溶けかけたどろどろのデコレーションケーキみたいで、酷く趣味の悪い喩えをしてしまったことに苦笑を零した。
「は、っあ、あ……♡なに、これ……っ、熱、」
 自分が何を出してしまったのかも分からないままうわ言のように熱いと口にし、時折射精の余韻で身体をまだびくつかせている親友に、抱いてはいけない類の感情を抱きそうになっていることに気付く。その感情の正体に気付かないふりをして、その感情自体も慌てて打ち消そうとして、傑は悟から目を逸らした。


「悟、ごめん」
 精液を拭き取って身なりを整えながら猛烈に賢者タイムが襲って来て、傑はむすっとした顔でベッドに寝そべっている悟に謝った。嫌われたかも知れないと思った。しかしその割には、悟は部屋に戻るとも言い出さず相変わらず傑のベッドを占領している。  気まずくないのだろうか。むしろこっちが気まずい。気まずいから、臆病な傑は一先ず逃げることにした。何で自分の部屋なのに自分が逃げ出すことになっているんだというツッコミは、この際置いておくことにする。
「私はちょっと自販機でジュースでも買って来るよ。自分の部屋に戻りたいならいつでも戻っていいからね。鍵は開けたままでいいし」
「……俺も行く」
「え、」
 まさかついて来ると言い出すとは思っていなかったので、傑はえ、と言ったきり固まった。のそりと身を起こした悟が床に降り立ち、傑の隣に立つ。傑の方は見ようとしない癖に、不意にそっと身を寄せられてギョッとする。
「さとる、」
「あのさ、…………さっきの、またしてくれる……?」
 ぼそ、と喋る悟の頬が、どんどん赤く染まっていく。
 もうしないし、あれはこれからは自分一人でやるんだよと言わなければならない。じゃないと、またしたら、今度はそれ以上のことまでしてしまうかも知れない。
 親友に、戻れなくなってしまう。
 その甘くて毒も刺も含んだような誘惑を、断ち切れる自信が全くなかった。

(終)